東京一の浅草のパチンコ屋
もう一つの秘蔵記録は、昭和28年3月31日、台東区浅草商店街連合会発行の『商店主ハンドブック』
(同会事務局編集)に収録された"全浅草商店街"のパチンコ屋。
看板を"遊技場"等としたものもありました。
当時、浅草には48の商店街がありました。
蔵前の問屋街(雑貨)、合羽橋の問屋街(飲食店設備)、花川戸の問屋街(履物)、聖天町の問屋街(靴)などなど・・・。
100軒、150軒という大商店街もあって、これらの問屋街にはパチンコ屋は1軒もなかったのです。
また、パチンコ屋のある商店街でも先にあげた新宿西口の「パチンコ横町」のように、パチンコ屋が密集してはいませんでした。
しかし、当時の浅草は、戦災から立ち直り、復興の意気に燃えていて、再び東京一の盛り場として、人出もたいへんなものでした。
したがって、パチンコ屋も大店舗のものが多く、どの店も満員の盛況でした。
六区の興行街は人の波。
肩と肩とがぶつかり合うほどで、どの映画館も、軽演劇もストリップも、フル回転でした。
そういう多忙の幕あい・・・
パチンコ屋には、息抜きのいっときをチンジャラで楽しんでいるストリッパーなどの姿を、よく見受けたものです。
その賑やかだった浅草も、すっかり寂れてしまい、六区など昼間でも人影まばら。
いろいろ、復興策もあるようですが、はたしてどうなりますか。
ただ、パチンコ屋だけは盛ん。
「浅草はいいよ。よく出るんでね、四つ木から来ちゃあ、稼いでるよ」というような、客も多いようです。
パチンコ屋の客には、その土地によっていろいろな特色があるようです。
また、時代によって客筋に変化のあるのも当然でしょう。